15歳の春、女子からの何気なく笑われたことは、「赤面を嘲笑された瞬間」として深く刻み込まれました。実際にはどうだったのか、今では確かめようがありませんが、その思い込みは私の心を徐々にむしばみ、対人恐怖症の扉をこじ開けていきました。
高校1年の冬には、赤面に対する恐怖はさらにエスカレートし、鏡を見る回数が1日50回近くにまで達していました。トイレの鏡はもちろん、学校の窓、教室のガラス戸、果ては車の反射窓。ひどいときには雨上がりの水たまりでさえ、自分の顔色を確認していました。
少しでも頬が赤くなっていれば、「まずい!早く冷やさなきゃ!」「早く顔を白くしないと…」と、心の中で警報が鳴り響き、焦りが胸を駆け巡るのです。
水たまりに映る自分の姿をチェックしていました。少しでも顔が赤くなっていると、まずい…早く顔を白くしないと…と焦りました。
松井秀喜に似ている疑惑
対人恐怖症は、様々な症状に苦しめられる病です。高校1年の冬になると赤面症だけでなく、新しい症状が私を苦しめ始めます。
それは
「笑顔恐怖症」
でした。
きっかけは些細なことでした。ある日、野球部時代の友人から
「川島って松井秀喜に似てるよな(笑)」
とからかわれたのです。
確かに私の顔は頬がぷくっと膨らんでいます。笑顔になると頬が膨らみ、顔のバランスが崩れるのです。
笑顔になると、
頬が強調される!
松井と思われる!
また笑われる!
(松井さんすいません)
そう思い込んだ私は笑顔になることがとても怖くなっていきました。
鉄仮面になる
笑顔になることを恐れた私は、次第に笑うことが減ってきました。そして
「ブサイクな顔より整った無表情な顔がましだ」
自分の不細工な顔を見るたびにそう感じるようになっていきました。いつしか私の顔からは笑顔が消え、無表情になっていきました。
川島君は表情がないね
おまえは鉄仮面のようだ
何を考えているかわからない
私はこれらの言葉を10年間言われ続けるようになります。しかし、これらの言葉も私の心には響きません。
なぜなら
「笑顔でブサイクな顔より整った無表情な顔がましだ」
この考えに確信をもってしまっていたからです。この考えは強固で揺るがしがたく、人から好かれたい、女子から持てたい、よく見られたいと考えるがゆえに、ますます表情を消していくのでした。
私は、人間らしさの象徴である笑顔を捨て、無表情を選択してしまうという最大のミスを犯してしまったのです。
女子高生との出会い
そうして表情を失いつつあったある日、全く想像もしていなかった出来事が起こります。それは女子高生から手紙を突然もらうという事件でした。その事件により私の対人恐怖はより深刻度を増していきます。
************
投影についてはこちらの動画を参照ください
・川島達史 1981年生まれ
・社交不安症専門カウンセラー
・公認心理師 精神保健福祉士
・対人恐怖のご相談はこちら
・社交不安症チャンネルはこちら
*********