対人恐怖の初期症状が出ていた私ですが、幸運にも女子高生のアスカさんから手紙を渡され、デートを重ねる関係になっていました。
しかし、赤面している自分、笑顔が不細工なところをバレたくないために、緊張で感情を押し殺し続け、何を考えているかわからない男になっていました。
当然、進展もなく、彼女からの連絡が減っていきました。焦った私は誕生日に中古のバービー人形、不気味なお香、少女漫画を贈りましたが、彼女は困惑した様子でした。
毎日のように来ていたポケベルのメッセージは減り、ついには全くメッセージが来なくなりました。
自分へのメール
メールが来なくなると、私は人生初めての、女子から連絡がこないという、あの感覚を味わい尽くしていました。ポケベルの無機質な画面が、寒々しく、苦しめてきました。
もしかしたら、壊れているのかもしれないと思った私は、自分にメッセージを送ってみました。するとものの1秒でちゃんとメッセージが届きました。
メールがちゃんと届いたという事実を突きつけられ、私は「そうか・・・おれは振られたんだ」と覚悟を決めていきました。
6文字の記号
3週間ぐらいたったころ、学校帰りの帰路になっていました。
するとふいにポケベルがなりました。差出人はアスカさんでした。ですが、私はポジティブな未来ではなく、ネガティブな未来をすでに予想していました。
中身をみると
「モウアエナイ」
と6文字の記号が並んでいました。
私はなぜか笑っていました。それはどこかひねくれた笑いでした。
無表情な俺
感情を隠していた俺
演技をしていた俺
そんな俺がフラれたんだな・・・ざまあないな・・・
そんな感覚でした。
私は無意識に心の防衛を図っていました。
私は、私を俯瞰して眺めていました。振られたのは、あくまで無表情で、演技をしている私という感覚がありました。別人格の私が振られたのであるから、本当の自分は傷ついてはいないと防衛していたのです。
この誤魔化しは一見楽でした。
なにせ本当は傷ついているのに、傷かずに済むのです。感情を殺してしまえば、失恋もいたくありません。私はこの失恋以来、感情の起伏を抑える習慣を加速させていきました。
高校2年生の後半になると、私の顔は無表情で、無感情で、鉄仮面のようになっていました。他人から見ると、冷たく、何を考えているかわからない、不気味な男になっていました。
引きこもりへの階段
対人恐怖が重症化していくのと同時期に、私はもうひとつの問題を抱えるようになっていました。
それは高校生にとって、切迫した問題である大学受験でした。私はこの大学受験で生涯にわたって後悔する行動をしてしまい、劣等感の塊になってしまいます。
そしてこの時はまで、引きこもりになるとは夢にも思っていませんでした。
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・川島達史 1981年生まれ
・社交不安症専門カウンセラー
・公認心理師 精神保健福祉士
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