高校時代、対人恐怖症と赤面恐怖症に苦しんだ私は、勉強に身が入らず、「経営者になる」という言い訳じみた目標を掲げ、受験勉強からは逃げ続けていました。
一方で中途半端に受験もし、明治大学で惨敗し、早稲田の受験を放棄、滑り止めの日大に進学しました。浪人も起業も選べない中途半端な自分を嘲笑いながら、日大に進む道を選びました。
爪噛みが重症化
大学入学前は、新しい環境に胸を躍らす時期ですが、中途半端な決断をしてしまった劣等感で鬱屈としていました。また、コミュ障であるため大学生活に馴染めるか不安で仕方がありませんでした。
ストレスをためた私は、ある悪癖が再発していました。それは爪噛み癖です。私は小学生の頃から爪を噛む癖がありました。中学、高校も多少は噛んでいましたが、高校1年生の頃に色気ついてからは、あまり噛まなくなっていました。
しかし、大学入学前の予期不安から、気が付くと爪を四六時中噛んでいました。テレビを見ながら、本を読みながら、風呂に入りながら…際限がありませんでした。
ギリギリまで噛んでしまうため、ときどき勢い余って肉の連結部分にまで達していました。
一度、血が出た部分は基本的には爪ともう一度くっつくことはありません。私の爪の白い部分はだんだんと後退していきました。噛むのを止めようと思っても気が付くと噛み続けていました。
20代前半で爪噛みの癖はなくなりましたが、名残が残っていて、今でも私の爪はかなり深爪になっています。
入学式と鬱屈した気持ち
4月になるといよいよ入学の時期になりました。日本大学はマンモス校です。入学式は日本武道館で行われていました。人数がやたら多いので、各学部が流れ作業のように式典を進めていきます。
私の中では特段入りたい大学ではなかったので、どこか斜めで冷めた気持ちを持ちながら、式に臨んでいました。
両親も入学式には参加してくれましたが、卑屈な私は対したコミュニケーションをするでもなく、(なんで来るんだよ…)という不遜な態度をとっていました。
(はいはい…日大ですいませんね…)私は両親や兄に比べて低学歴なことを恥ずかしいとすら思っていました。
今、邂逅すると、散々塾代を投資してくれたにも関わらず、中途半端な大学に入ってしまい、申し訳ないという気持ちがあり、それをうまく表現できるだけのスキルもなく、自分でもどうしようもなかったのです。
そして泥沼へ
高校時代は、対人恐怖は赤面恐怖から始まり、笑顔恐怖、学歴コンプレックス、爪噛みの再発、という形で複雑化していきました。
しかし、大学入学前にも関わらず、当時の私は「対人恐怖症」という病名自体知りませんでした。コミュニケーションが苦手と言う自覚はあったのですが、病気だとはこれっぽっちも考えていませんでした。自分が病気であるという事に気が付いていないと、その病気は悪化し続けることになります。
大学に入学してからも、私はより対人恐怖を深める、非現実的な考えを先鋭化させ、抜け出すことができない泥沼にはまっていくことになります。
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・川島達史 1981年生まれ
・社交不安症専門カウンセラー
・公認心理師 精神保健福祉士
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