対人恐怖症でコミュ症だった私は、体を動かさず、ストレスで食事量が増えた結果、体重が増加し、容姿も崩れていきました。自分を「無残な化け物」と感じるようになりました。
大学を卒業し、「大学生」という肩書を失ったことで、最後の心の支えを失ってしまいました。「無職」「ニート」という状態になり、精神的な拠り所をすべて失ったことで、自分の存在価値を否定する気持ちが強まり、わざと息を止めてみるなど、死の実験を始めていました。
死の裁判
死を身近に感じると「生きている」という感覚にも目が向きます。
空気を吸う
息を吐く
心臓が鼓動を打っている
そんなあたりまえのことを感じ取るようになっていきます。およそおそらく、自殺をする人は、その前に「生きる意義」について自己裁判をして、その結果、生きる意味がないという結論を選べば最後の手段を取るのだと思います。
私自身も
僕はなぜ生きているのだろう?
と最後の自己裁判に進んでいました。もし生きる意味が希望の無いものであれば、いよいよ死を選ぶことを覚悟しました。
生きる理由を考える
私はおよそ朝から晩まで 「人はなぜ生きるのか」について禅問答を繰り返していました。
DNAがそうさせるから?
なんでDNAは生きさせようとするの?
そもそもDNAは、なぜできたの?
なぜ生物は何もないところからうまれたの?
これまでの人生で考えたこともないようなことを考え始めていました。ですがすぐに行き止まりにぶつかってしまいます。人はDNAによって本能的に生きようとプログラミングされているとしても、ではなぜDNAは人を生きさせようとするのか?いくら考えても明確な答えにはたどり着けません。
私は次第に、生きる意味の答えを出した人に、教えを請いたいと考えはじめました。そこで家にある本を、片っ端から探してみました。しかし、それらしき答えが書いてある本はありませんでした。
千円の不労所得
家の中だけでは、限界があると悟った私は、本屋に行きたいと感じ始めました。しかし、ニートの私には、もはや本を買うお金すらありませんでした。そこで私にとって、最後の不労所得である親の財布からお金を拝借することにしました。麻雀をしていたときは1万円拝借していましたが、千円に減額するという優しさを表しました。
深夜に確保した1000円を握りしめると、おそるおそる玄関を開けます。その日は快晴中の快晴でした。引きこもりにとって、良い天気は苦しいものです。なぜなら、太陽の明かりが、ニートという人種を白日の下にさらしてしまうからです。
対人恐怖が極限まで重症化し、死を意識する段階になっていると、もはや重犯罪を犯して、逃亡生活をしているような気持になっています。明るい場所に醜態をさらすことを全身で拒否する感覚がありました。
それでも私は、玄関を開けて歩き始めました。隣近所の人と遭遇しないか、ビクビクしました。不幸中の幸いにも、地雷原を脱出すると、私は家から歩いて3分の場所にある、古本屋に到着しました。
千円の不労所得
その古本屋は店主が道楽でやっているような店で、いつも閑古鳥が鳴いていました。接客態度が悪く、お客さんとのコミュニケーションを取ろうなどと一切考えていません。対人恐怖の私にとっては最高の古本屋でした。
店の中をウロウロすると、「いったいこんな本誰が読むのだろう…」というマニアックな本ばかりが置いてありました。
店内を徘徊すると、薄暗い一角に「哲学コーナーが」あることを発見しました。ただでさえ人がいないその古本屋。その奥の奥にある哲学コーナー。本の多くが埃をかぶっていました。
プラトン、アリストテレス、ソクラテス、デカルト、ニーチェ、般若心境、釈迦、ラカン、カント、ジンメル・・・・
なんとなく聞いたことがある名前が並んでいました。しばらくその一角で、本をめくり続けていると、直感的に読んでみたいと感じる本がありました。
本のタイトルを見ると、ソクラテスと書いてありました。値段は200円でした。どんな内容なのだろう…とペラペラめくってみると、暗号のような難解さで、立ち読みではまったく頭に入ってきません。
しかし、なぜか私はこの本に魅了されていました。私の乾いた心には得体のしれない好奇心が芽生えていました。そしてこのソクラテスの本が人生をひっくり返すきっかけになるとは、この時想像もしていませんでした。
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・川島達史 1981年生まれ
・社交不安症専門カウンセラー
・公認心理師 精神保健福祉士
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