対人恐怖症が重症化し、引きこもりになった私は、哲学の世界に没頭していました。その過程でニーチェという哲学者の存在を知りました。
ニーチェの生涯
ニーチェは1800年代の哲学者で、人は「どう生きるべきか?」を深く考えた人物でした。ニーチェはキリスト教を信じる人は、謙虚さ、自己犠牲、服従を美徳とされるよう洗脳され、奴隷であると主張し、強く批判しました。
キリスト教を信じる人は、現実世界での成功や力を否定し、来世や天国での救済を重視する姿勢になっていると考えたのです。当日のキリスト教は、生活に根差し、当たり前のものとして受け入れられているものでした。ニーチェはその前提を疑ったのです。
このような変わり者だったためか、彼の人生の多くは孤独で、特に晩年は極度の孤立状態にあったとされています。同じく孤独状態であった私は、どこか親しみを感じてました。
晩年は、馬が鞭打たれるのを目撃し、馬を抱きしめて号泣した直後に精神が崩壊し、その後、しばらくして死んでしまったとされています。だいたい哲学者はまともな死に方をしませんね(汗)
ルサンチマン
ニーチェの哲学で衝撃をうけたのが「ルサンチマン」という概念です。
ルサンチマンはフランス語の”ressentir”から派生した言葉です。”ressentir”は、繰り返し感じる、強い怨恨や憎悪を指します。ニーチェは”ressentir”をアップデートして、ルサンチマンという概念を作りました。ルサンチマンは
強いものへの嫉妬、怒り
と意味します。そして、ニーチェはルサンチマンを強烈に批判しました。すなわち強いものへの嫉妬心を持つことを否定しました。なぜなら、ルサンチマンが心にあると、自分の不幸の原因を強者や環境のせいにする、謙虚さ、自己犠牲、服従を善とし、強さを悪とし、成長しなくなってしまうからです。
ニーチェはこのような、ルサンチマンの状況を批判し、
嫉妬心で人間は幸せになれない
ということを訴えました。この概念を知った時、私は雷に打たれたような感覚がありました。
社会への怒り
私は大学受験に失敗する、会計士試験に落ちる、就職活動ができない、家に引きこもる、という状況を嘆いていました。
自分ばかりが苦労している
誰も助けてくれない
こんな社会はどうしようもない
と考えていました。女の子にもてるイケメン、高学歴な人、有名な会社に就職した人、成功した起業家を見つけては、劣等感を感じて、嫉妬心の塊になっていました。強い人が没落すると、うれしいと思う自分がいました。
しかし、ニーチェに言わせれば、そういった強者に対する怒りは、ルサンチマンであり、負け犬根性であり、自分自身を苦しめるだけだと訴えたのです。確かに社会に対する反抗心を持ったところで、私は幸せでもなんでもありませんでした。イライラと怒りが募り、マイナスの感情に支配されていました。
自分の物差しを作れ
ニーチェは、社会通念上の強者になれないことを嘆いて生きるのではなく、
自分の物差しを作れ
と訴えました。なんら絶対的な価値がない世の中で、自分なりの価値観を作り、その価値観に基づいて行動しなさい、と主張したのです。確かに私たちは、今の自分がどこにいるのかを測りたくなります。
正社員か? 有名な会社か? 収入が高いか?
モテるモテない? 学歴は? 身長は? 体重は?
社交的か? 家庭環境は?
このような、社会通念上の基準で自分の価値を測りたくなります。しかし、それは弱い人間のすることだとニーチェは言います。ニーチェに言わせれば自分で作り出していない価値観にすがることは、弱い人間のすることなのです。
そして、そのような社会への恨みを捨て、自分の価値観を作り出し、自分らしく成長し続けられる人をニーチェは「超人」と呼びました。社会に振り回され、嫉妬にかられ、怒りに支配されるのではなく、自分の生き方を肯定し、積極的に自己実現を目指す姿勢を大切にするべきと説いたのです。
自分で考える癖がつく
私はニーチェの考えと出会うまで、「社会の価値観」で自分を測っていました。私は周りの人が作った価値観に右往左往していることに気がついたのです。
もちろん社会の価値観は大事です。それを尊重し、参考にしつつも、どうしたいのか?どうなりたいのか?を自分で考えるようになっていきました。私は「自分の人生の価値は自分で決める」という感覚を持てるようになっていきました。
哲学はおもしろい。ますますおもしろい。ニートで引きこもりの私は哲学の勉強を続けました。
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・川島達史 1981年生まれ
・社交不安症専門カウンセラー
・公認心理師 精神保健福祉士
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