対人恐怖症があった私は、会計士受験の失敗、学歴コンプレックス、コミュ障、醜形恐怖、無職、ニート、引きこもりになり、自殺願望を持つようになりました。
死を意識すると、逆説的に「生きる」ことについて疑問を強くもちました。そしてその答えを見つけるために哲学書を読み漁るようになりました。その結果、「生きることにそもそも意味などない」というサルトルの哲学がふに落ちるようになっていきました。
生きる意味は自分で決める
生きることにそもそも意味はありません。今生きていることは偶然のようなものです。そこには所与の必然性もなければ、強制力もなければ、使命もありません。たまたま生まれてしまっただけなのです。
たまたまなのですから、死のうが、生きようが、苦しもうが、悲しもうが、楽しもうが、笑おうが、自由なのです。人生は自由に意味付けをして生きて良いのです。では私にとっての人生の意味とは何か・・・私は自由に考えました。
人生の意味は白紙だ・・・
人生の意味は自分で決めていい・・・
では人生にどんな意味を持たせようか・・・
どうせ生まれたのなら楽しんで生きたい・・・
せっかく生まれちゃったんだから幸せに生きたい・・・
そうか!僕は幸せに生きることを大切にするんだ!
それはシンプルな回答でした。これまでの人生は、女の子にもてる、会計士受験で合格する、起業をして成功する、これらを達成することが目的になっていましたが、これらの価値観をリセットして、幸せに生きることを見失わないように生きようと考えました。
そうか・・・これからの人生は幸せに生きていいんだ・・・そう考えると私の中から自殺の2文字は消えていました。出口のない、暗いトンネルにはっきりとした出口が見えた感覚がありました。
幸せは人間関係の中に
次に湧いてきた疑問は、幸せとはなにか?でした。幸せに生きるには、自分にとっての幸せを定義しなくてはなりません。私はどうすれば幸せな人生を歩むことができるかじっくり考えました。過去の記憶を探り、幸せだった瞬間を思い出しました。
母のおいしい弁当を
食べることが嬉しかった
父におんぶを
してもらったことがうれしかった
兄がはじめて雀荘に連れて行って
くれたことが嬉しかった。
小学生の頃は友達とかくれんぼや
鬼ごっこをするのが楽しかった
高校生の頃は親友とプロレスゲームを
しているときが一番楽しかった
彼女と手をつないで
何気なく歩くことが幸せだった
幸せなことを思い浮かべていくと、ある共通点がありました。それは幸せな瞬間にはいつも人との関りがあったのです。そしてやっと私は、1度しかない人生を定義することができました。
私にとっての幸せは
温かい人間関係の中にある
そう確信しました。私はやっとのことで、自分の真なる欲求に気がつくことができたのです。
人と関わりたい
私は幸せは人間関係の中にあることを確信すると、
人と関わりたい!!
会話がしたい!!
友達がほしい!
強くそう感じるようになりました。これまで蓋をしていた感情がドバドバあふれ出していきました。その感情はポジティブなもので、ヘドロのように汚れた川に、きれいな水が流れ込んでくるかのような、前向きな感覚がありました。
一方で私は半年近く、人と関わっておらず、もともとない会話力が限界まで低下していました。人と関わろうと思っても、何をどうすれば良いのかさっぱりわかりません。そこで私は哲学の勉強に一区切りをつけ、心理学や会話の勉強をスタートすることになるのです。
そして心理学の勉強がいつしか自分の仕事になるとは、この時は1ミリも想像していませんでした。
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・川島達史 1981年生まれ
・社交不安症専門カウンセラー
・公認心理師 精神保健福祉士
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