社交不安改善コラム

対人恐怖症克服記66 女子大生に心の中で毒づく

 

15歳の頃から対人恐怖症が始まり、引きこもりとなった私は、哲学と心理療法の力を借りて、少しずつ心を回復させていきました。

22歳の秋になると「働きたい」という気持ちが芽生え、アルバイトの面接に臨むことになりました。

 

面接官は、イケメンで自信満々な雰囲気を醸し出していました。私は、大いに劣等感が刺激され、わずかなる抵抗を見せ「起業するためにアルバイトをする」と途方もない放言を言い放ちました。

 

 

雑兵・敗走

イケメン面接官は、私の断末魔に、憐みの情を抱いたのか、私へのメタレベルの質問を早々に切り上げ、投げやりに業務内容の説明をはじめました。

その態度は、この無様な敗残兵は殺す価値すらない・・・さっさといなくなれ・・・とでも言わんばかりの興味関心のなさでした。

 

光の速さで最低限の説明が終わると、イケメン面接官は合格の場合は明日お昼までに通知されますと私に告げました。

言葉では「合格」という言葉を使っていましたが、その表情やトーンはお前なんか合格するわけないだろ・・・と冷たく私を突き放していました。

 

私は、とどめを刺されなかったことに一抹の感謝の念を抱き、ありがとうございましたと精一杯の会釈をして部屋を後にしました。

面接官はかすかに首を縦にふったように見えましたが、ぐに机に目を戻し、既に次の求人者の情報を求めていました。

 

私は命からがら、敵陣を後にしました。画像2

 

 

姫・進撃

面接の部屋を出ようとするとき、面接官は、次の女性の名前をコールしました。その声色は、たいそう明るく、期待をにじませるものでした。

 

そして、そのコールによろしくお願いします♪と実に明るく元気な声で反応する女性がいました。

目をやると、20歳前後と思われる、みずみずしい姫が立ち上がっていました。そのポジティブな、オーラはスケベなイケメン面接官の心を容易に捉え、軽々と面接をクリアしていくことは明白でした。

 

姫は軽やかな着物を身にまとい、殿のもとに進撃していきました。

画像1

私は心の中で毒づきました。

 

彼女はきっと大学で楽しくすごし、ちょっとしたお小遣い稼ぎをするために、バイトをして、なんの苦労もなく就職して、28歳ごろに、これまた溌溂としたさわやかで高収入な青年を捕まえ、感動的なプロポーズを受け、何十万もする婚約指輪を受け取り、仰々しい結婚式を挙げ、結婚後はエステなどに行きつつ、優雅なランチを楽しみ、子育てが一段落した52歳の頃に、白いポメラニアンを購入し、チロちゃんという名前をつけ、チロちゃんにデパートで購入した小型犬用の税込10,800円もする洋服を着せるなど、華やかな人生を謳歌するに違いない。

 

そして私のような、なんらの取り柄のない不気味な男性とは、会話はもとより、視界にすら入れたくないに違いない。すいませんでした。視界に入ってすいませんでした。

 

2週間引きこもる

次の日のお昼まで結局電話は鳴りませんでした。私はアルバイトですら合格できなかったのです。改めて自分の経歴がケガレているという事実をつきつけられました。

私は大学2年から、その辺で遊んでいる大学生よりもはるかに努力を続けてきたつもりでした。

しかし、試験に受からなければ、社会の評価はゼロでしかありません。むしろ就職活動をしなかった、得体のしれない、不気味な存在でしかないのです。

 

私は新宿のアイランドタワーという、資本家が私腹を肥やした場所に行くことで、「勝ち組」と「負け組」の社会の構図を痛いほどたたきつけられました。

 

そして自宅の引きこもり部屋で、*ルサンチマンを活性化させ、社会に対する不信感が心を支配し、結局、回復するまで2週間近くかかってしまいました。

 

そして次の求人先の面接で、さらに衝撃的な出来事に遭遇することになるのです。

 

 

 

*ルサンチマン
自分より強い者や成功している者に対する 妬みや恨みの感情。しかし、それを直接ぶつけるのではなく、内面で鬱積させ、道徳や価値観の転倒によって 相手を否定しようとする心理 を指します。

 

 

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・川島達史 1981年生まれ
・社交不安症専門カウンセラー
・公認心理師 精神保健福祉士
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