対人恐怖症に8年苦しみ、引きこもりになった私は、心理療法の力を借りて、無職からフリーターになることができました。
しかし、会話の力が欠如していたので、職場で孤立し、対人恐怖が再び悪化していきました。
このままでは、対人恐怖のまま人生が終わってしまいます。
一度しかない人生です。みんなと同じように幸せな人間関係を築けるようになりたい!私は強く再認識し、自分なりの努力を続ける決意を改めて固めていきました。
具体的には、バイト中は8時間の発声、休憩室では1時間の雑談、家に帰ってからはタモリさんの「テレフォンショッキング」を教材としてコミュニケーションの研究をする生活を続けました。
独自のトレーニング法
研究の結果、コミュニケーションは、オウム返し、肯定返し、自己開示などの手法が組み合わさって成り立っていくことがわかってきました。
私は、「テレフォンショッキング」を教材として、独自の練習法を確立していきました。それは動画の再生ボタンと停止ボタンを押しながら、プロの返し方をマネして、何度も練習するというものです。
例えば、テレフォンショッキングに出てきたゲストが
「そういえば、最近、新曲を出したんですよ~」
と話したとします。ここで再生ボタンを留めます。そして、どう返すか?じっくり考えていきます。回答ができたら、そしてタモリさんになったつもりで、返していくのです。
「お~!新曲ですか!」
「それは楽しみだ~ どんな曲ですか?」
「それはファンも喜びそうだね。反応はどうですか?」
こんな形で考えていきます。最初の10回ぐらいはぎこちないのですが、20回ぐらい練習すると、だいぶ自然にできるようになってきました。
30回ぐらい練習すると、何も考えずに言葉が出てくるようになってきました。
実践でマダムに試す
1か月程度、自主練を繰り返すと、テレフォンショッキング上では、30通りぐらいの会話はクリアできるようになりました。
次はいよいよ実践です。幸運にも私には、休憩室で毎日実践練習できる環境がありました。
私は、マダムを実験対象として、実践で試していきました。例えば、マダムが、
「ああ~しんどいわ~今日クレームがあったのよ~」
と愚痴を言ってきたとします。これに対して私は
「クレームですか!きついですね。。」
と、オウム返しをしていきます。するとマダムの表情がパッと和らぎ
「そうなのよ~♪」
と喜んでくれるのです。その笑顔を見たとき、私の中で、解決不能な問題が解けた気がしました。年々も解けなかった数学の方程式の解がやっと見つかったような感覚です。
ええ!!こんな会話で相手は喜んでくれるの?ああ・・・どうか会話ってこうやって、返せばいいんだ・・・。私は、研究した傾聴スキルが、実践でも充分使えることに、大きな希望を見出しました。

相手の話を少し変えて繰り返すだけで、喜んでくれる!マダムの笑顔を見るだけでなんだかこちらもうれしくなっていきました。
相手の表情が緩むと、こちらの表情も緩んできます。自分のなかでも警戒心も徐々に減ってきて、段々と会話の輪に入れるようになっていきました。
すると、私はマダム達から明らかに可愛がられるようになり、ポジティブな言葉をたくさんもらえるようになりました。自己肯定感が少しずつ回復していく感覚がありました。
新しいアルバイトを探す
しかし、そんな生活が2か月ほど続くと、私の心にある感覚が芽生えてきました。それはマダムとの会話への物足りなさです。そしてその物足りなさの根幹は
同年代のかわいい女子と話したい!!
という極めてよこしまな本能から来るものでした。私は対人恐怖のせいで、若い娘とキャッキャウフフする青春を全て失っていたので、その時間を取り戻したくて仕方がなかったのです。

私は次第に、20歳以上年が離れたマダム達との雑談にやる気を失っていきました。
モチベーションが低下すると、若干、傾聴も雑になり、相手の話をスルーこともありました。失礼な話です。
さらに言えば、私には3年の付き合いになる彼女がいたのですが、その件については別腹と言うことで、罪悪感を無意識に抑圧していました。
とにかく私は「同年代の女子と楽しく会話をしたい」という次の目標を掲げ、新しいステージにチャレンジすることにしたのです。
幸いにもテレアポのバイトは週4日でした。まだ2日間程度ながら働けそうです。
そこで私は新しいバイトを追加することにしました。結果的に新しいバイトが見つかり、飲食業で働き始めるのですが、天罰のように対人恐怖がブリ返し、最悪の退職の仕方をしてしまうことになるのです。
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・川島達史 1981年生まれ
・社交不安症専門カウンセラー
・公認心理師 精神保健福祉士
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