対人恐怖症に8年苦しみ、引きこもりになった私は、心理療法の力を借りて、無職からフリーターになることができました。
1週間のうち、4日間をテレフォンアポインターとして働くようになると、物足りなさを感じるようになり、さらに空いている3日を喫茶店のバイトとして働くことにしました。
休みは一切ないというむちゃくちゃなスケジュールでしたが、喫茶店のバイトは、かわいい女の子との「パラダイソタイム」ぐらいにしか考えていなかったので、どうにかなると気楽に考えていました。
それぐらい喫茶店での仕事を舐めていたのです。
しかし、実際に働いてみると、私には難易度が高すぎて、周りの足を引っ張り続けることになります。
いきなりの修羅場
私が働くことになった喫茶店は、新宿伊勢丹近くにあったのですが、蓋を開けてみれば、日本でも一番忙しいと言っても過言ではありませんでした。
開店直後はまだしも、11時ぐらいになると、既に列ができ始め、その後は5時間近く、レジが途切れることがないのです。
後から後からお客さんが入ってきて、たかが喫茶店なのに、ひどい時は外まで人が並ぶこともありました。店員も殺気立ち、かわいい女の子も、サバンナのライオンのごとく、口調がきつくなっていました。
そんなくそ忙しい時に、
「〇〇さん、おすまいはどちらですか?」
など軽口を叩こうものなら、目からビーム光線が出て、瞬時に焼き殺されることは明白でした。かわいい女の子と話す!という当初の目標は、初日から不可能であることを、すぐに悟りました。
ドリンクがわからない
ドリンク作りも苦戦しました。喫茶店のアルバイトの基本はドリンク作りです。入社初日から、作り方を教わっていくのですが、
ブラック アメリカン カフェラテ カプチーノ エスプレッソ
これらの基本的なドリンクでさえ何がなんだかさっぱりわかりません。というのも、私は大学生活時代、喫茶店などほとんど行きませんでした。せいぜいベローチェの200円のコーヒーを飲むぐらいです。
これらの横文字を聞いても、謎の呪文が唱えられているぐらいにしか感じることができず、頭に入ってきません。
さらにその喫茶店には、シロップを入れるジュース、クリームを入れるジュース、氷を砕いてシェイクにする飲み物など、都合20種類ぐらいあります。
私はセンスの無さを遺憾無く発揮し、ブサイクなドリンクを提供し続けることになります。しかし、あまりにも適当にドリンクを作るので、店長がお手上げ状態になり、私は皿洗いに回されることになります。
地獄の蒸し風呂
皿洗いの場所に移動になると、そこはまさに地獄でした。その喫茶店は、外から汚い絵ずらが見えないように、食器洗いの場所が独立した密室になっていました。
最も悩まされたのが、皿洗い機から出てくる、忌々しい蒸気でした。大型の皿洗い機は100皿単位で洗うことができます。その分、使うお湯の量が半端ではなく、絶えず横でぐつぐつと煮えたぎっています。
皿洗いが終わった瞬間は最悪で、蓋をあけると、熱風が密室に充満して、室温が異常に高くなるのです。
さらには、100人単位の客の、食べかすがあとからあとから運ばれてくるのです。
優雅なティータイムをする余裕のある女性たちの食べかすを、ただ奴隷のように、洗い続けると、貴族階級の城で働く、地下室の奴隷のような気持になってきます。
牢獄よりもひどい待遇の中にいると、身体的にも精神的にも摩耗し、アルバイトのたびに2キロ近く体重が痩せていました。
時給850円
喫茶店のバイトの時給は850円でした。正直テレアポのバイトの3倍ぐらいつかれました。
1日8時間働いて、店長にも怒られ続け、体中ぐったりしています。お給料の総額は7000円でした。いくらコミュニケーション能力を上げるためとは言え、なんだか納得がいきませんでした。
ですが、私はテレアポでは感じられない充実感もどこかで得ていました。
やはりお客さんを目の前にした仕事はなんとも言えない達成感があります。
下手なりにも自分が作ったドリンクで喉の渇きを癒している人が居るということは、お金では変えられないうれしい感覚を持つことにつながりました。
私はこの喫茶店でなんとか踏ん張ろうと考え、テレアポの仕事と並行して働き続けることにしました。しかし、バイトを続けていくと、苦痛で仕方がない時間があることを思い知らされます。
それは若いバイト仲間同士のコミュニケーションでした。
*********
・川島達史 1981年生まれ
・社交不安症専門カウンセラー
・公認心理師 精神保健福祉士
・対人恐怖のご相談はこちら
・社交不安症チャンネルはこちら
*********