対人恐怖症に8年苦しみ、引きこもりになった私は、心理療法の力を借りて、無職からフリーターになることができました。
1週間のうち、4日間をテレフォンアポインターとして働くようになると、さらに空いている3日を喫茶店のバイトとして働くことにしました。
喫茶店では、そもそもドリンクを作れないという、ポンコツぶりを露呈し、喫茶店カーストの最底辺である皿洗いに回されました。1日何千枚という皿を洗い続け、自尊心を削られていました。
皿洗いは、肉体的にはしんどいものでしたが、孤独な作業で会話がなかったので、気楽ではありました。しかし、精神的に恐怖を強いられる時間があり、喫茶店に行くのがしんどい日がありました。
試飲会への恐怖
そのカフェは、午前8時で早い時間から開店します。オープンスタッフになると、朝の6時半に出勤し、1時間かけて開店準備をします。
7時半になると、少し落ち着くので、スタッフ同士でコーヒーの味を試飲する時間が設けられていました。私にとってはその時間が苦痛でしかありませんでした。
というのも、その時間は4人ぐらいで1つのテーブルに集合し、スタッフ同士の親睦を深める時間になっていたからです。当時の私は視線恐怖があったので、目があうと、全身が硬直する感覚がありました。
特に、若い女性スタッフと向かい合わせになった時は、緊張を強いられました。いざ目の前に、女性が座ると、玉座に座る皇帝が目の前にいるような感覚になってきます。
女性は畏怖の対象となり、すべての生殺与奪を持つ権力者であり、私はただただ裁かれるような、一方的な存在でした。
余りにも、上下関係がはっきりしているため、対等な目線で対峙するなど恐れ多く、視線をただただ下に向け、じっとそのさばきが過ぎ去るのを待つ時間になっていました。
そもそも私は、かわいい女子と話せる!と期待をして、喫茶店で働き始めたのです。
しかし、いざそのキャッキャウフフな桃源郷のような会話が始まったとしても、私は唯一その空間では、地獄を味わっていて、引きつった表情でそこにたたずむだけになっていたのです。
このような時間があるため、私は喫茶店でのバイトに行く前に、絶望するようになっていきました。
コントロール不能な絶望感
喫茶店のバイトを初めて2か月ぐらいのある日、私はこれまでにない巨大な絶望感に襲われました。 地元の駅の改札を通ると、急に人と会うことが考えられない状態になってしまったのです。
急に冷や汗が出てきて、体中が重くなっていきます。船のアンカーのようなものが体中に引っかかっている感覚です。
電車に乗ってバイトに行かなくては・・・
次の電車に乗ろう・・・
次の電車に乗ろう・・・
次の電車に乗ろう・・・
何度、考えても、考えても、どうしても電車に乗ることができません。
常に忙しい喫茶店のアルバイトは一人でも欠けると大問題です。私が休んでしまったら、最悪営業できない事態も想定されます。
迷惑をかけるわけにはいかない。ですが・・・頭ではわかっていても体が動かないのです。
次々に来る電車を呆然と見送りながら私は硬直した体と心に途方にくれていました。
気が付くと私は駅の改札を出て、地元の街をトボトボと歩き始めたのでした・・・店長や他のバイト仲間に迷惑がかかる。わかっていても電車に乗ることができなかったのです。
私は真っ青になり、自分がしてしまった過ちに現実感を失っていきました。開店時間になると、携帯がなりました。
それは店長からの電話でした。
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・川島達史 1981年生まれ
・社交不安症専門カウンセラー
・公認心理師 精神保健福祉士
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