対人恐怖症に8年苦しみ、引きこもりになった私は、心理療法の力を借りて、無職からフリーターになることができました。バイト先はテレフォンアポイントの会社と、喫茶店でした。
喫茶店ではコミュ障を早速発揮してしまい、初日から早々に皿洗いに回されました。周りでは同年代のキラキラしたアルバイトが活躍していて、劣等感から対人恐怖を悪化させていました。
ある日、喫茶店でのバイトが極度に怖くなり、出社時間にも関わらず、体が動かなくなり、電車に乗ることができませんでした。地元の駅で絶望しながら立ち尽くしていると、店長から電話がかかってきました。
店長と違和感
その喫茶店の店長は25歳の女性でした。新宿の一等地の店長を任されるぐらいなので、優秀だったのだと思います。一方でその態度にはどこか、違和感がありました。
喫茶店の店長というと、イメージでは、にこやかで余裕があり、お客さんにも従業員にも温かい雰囲気があると感じていました。
しかしその喫茶店の店長はステレオタイプ的なイメージとは違い、笑顔がほぼなく、どこか人に壁を作っていて、冷たい印象がありました。
おつかれさま、ありがとう、がんばってるね、と言ったポジティブな声がけはなく、ただただ業務的なやり取りに終始します。明らかに25歳前後の、人生の花の時期を謳歌している雰囲気はありませんでした。
その雰囲気は、「ただ優秀さゆえのビジネスライクな冷たさ」ではなく、別の何か、禍々しいものを感じていました。その禍々しさの理由は後でわかるのですが、とにかく私は店長に恐怖心を抱いてたのです。
出たい、出たくない
着信音が鳴ると、全身がビクッとなり、極度な緊張が襲ってきました。
胸がドクンドクンとなり、その動きが服の上からもわかるぐらいの感覚がありました。額からは汗が噴き出してきます。そんな私の症状にも関わらず、着信音は容赦なくなり続けます。
その音が鳴るたび、心臓が痛くなります。
ポケットから携帯を出し、画面を見ると「店長」の文字が表示されています。
怒りに満ち、私とは別の意味で震える店長の顔が鮮明に浮かびます。「何考えてんだこのバイトは!」「ふざけるな!」そんな言葉が脳内で響き渡り、指が動かなくなります。
出なければもっと怒られる。でも、出たくない。頭ではわかっていても、指がボタンを押せません。
ですが着信は永遠と続きます。5秒、10秒、15秒・・・、私はただじっと動けずにいました。
しかし、20秒ぐらいたった時、体が勝手に電話に出るボタンを押してしまいました。恐怖心と裏腹に、善意をつかさどる前頭連合野が、事情だけは説明しようぜと、理性的な判断をくだしたのだと思います。
とにかく私は、電話に出たくない自分と、電話に出るべき自分との葛藤の末、ぎりぎりのところで出る選択をしたのです。
店長の静かなる怒り
「もしもし川島君?」
「・・・はい。」
「もう開店なんだけど・・・30分遅刻しているよ!何時にこれるの?」
「・・・いや・・・今日はいけないんです・・・」
「どういうこと?誰か一人こないだけで、お店が回らないことはわかるよね。」
「はい・・・わかります・・・」
「必ずきてください。今どこにいるの?」
「・・・いま国分寺です。でもどうしてもいけないのです・・・」
「どうして?」
店長から、納得いかない、怒りと、失望の感情が伝わってきました。
対人恐怖症を隠していた
私は、引きこもりをはじめてから誰にも対人恐怖症であることを告げていませんでした。
家族にも彼女にも誰にも言ったことがなかったのです。弱い自分をさらけ出すことができす、人が怖いという感覚があることを誰にも言うことができていませんでした。
お店を休む理由として、「親戚に不幸があった」「体調がわるい」と嘘をつくことは可能でした。
しかし、ただでさえアルバイトをドタキャンしただけでも重罪を背負っています。この上、嘘を重ねることはできないという感覚になりました。
なにより、苦しいという気持ちを誰かに理解してほしかったのかもしれません・・・。私は店長に対人恐怖症であることをはじめて告げることにしたのです。
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・川島達史 1981年生まれ
・社交不安症専門カウンセラー
・公認心理師 精神保健福祉士
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