高校時代、対人恐怖症と赤面恐怖症に苦しみ、勉強から逃げ続けた私は、中途半端な受験を経て滑り止めの日大に合格しました。4月になり、いよいよ大学生活がはじまりました。
しかし、いざ、 大学というゲートに収まったものの、対人恐怖により、いわゆる大学生らしい華やかな生活の基盤を一切つくることができず、私は早くも5馬身ほどおいて行かれていました。
大学に行っても何一ついいことがないので、次第に私は、授業が終わるとすぐに帰るようになっていました。大学は午前中で終わってしまう日もあります。私は、時間を持て余し、打ち込める何かを探していました。
フリー雀荘に入り浸る
結論から言えば私は狂ったように雀荘に通うようになります。
私が麻雀を覚えたのが中学時代です。兄が麻雀の相手を探していて、練習相手として覚えさせられました。高校生になったころ、麻雀ができるのが私だけだったので、今度は私が友人に教え、週に1回ぐらいは麻雀をしていました。
しかし、大学生になってからは、生活リズムが合わなくなったことと、私の病のせいで友人とバラバラになってしまい、しばらくは麻雀ができませんでした。
しかし、ここで私は覚えてはならない、仕組みを覚えてしまいます。それは「フリー雀荘」です。フリー雀荘とは、一人でお店に入り、知らない人たちと対戦する仕組みを意味します。だらだらとした仲間内の麻雀と違い、知らない人たちと真剣勝負できる場所でした。
気が付けば私は毎日のように雀荘に通い詰めていました。多いときは一週間毎日雀荘に通っていました。毎日、夕方の17時~朝の5時ぐらいまで打ち続け、朝帰りを繰り返すようになりました。
麻雀にはまった理由
麻雀に嵌った理由はたくさんありました。
・無表情でよい
麻雀は、無表情でポーカーフェイスの方が強いという特徴があります。表情が死んでいた私は有利でした。
・疑り深さが役立つ
麻雀は「疑り人」ほど強いゲームです。猜疑心が強く、だまされているのではないか?と絶えずアンテナを張っていると読みが深くなり、強くなります。当時の私の精神状態にはぴったりのゲームでした。
・負のオーラが心地よい
安いレートの麻雀にはまる人たちは、どこか社会でうまくいってない人のように感じました。雀荘に来ている学生は、学校をさぼって留年している人ばかり。学生じゃない人もフリーターや、酒飲みや、コミュ障であふれかえっていました。
対人恐怖のときは、プラスの雰囲気の場所はとても居心地が悪いものです。周りが前向きな雰囲気だと、自分のダメさにばかり目がいってしまい、自分はなんて劣った人間なのだと落ち込んでいってしまいます。周りの目をそこまで気にしなくてもよい雀荘は、私にとって居心地のいい場所だったのです。
際限がなくなる
麻雀は、嫌なことを忘れさせてくれました。牌が配られた瞬間、心は「今ここ」にあり、対人恐怖で苦しんだ過去、これから訪れるであろう苦しい未来がなくなります。麻雀をしている時だけは、悩みから解放された状態でした。
しかし、麻雀が終わった瞬間、現実が突きつけられます。雀荘を出て、町を歩いている時は、再び苦しみの世界を生きていくことになります。その苦しみから逃れるためにまた雀荘に通うという悪循環になっていました。
毎日雀荘に通うと、じりじりと手持ちのお金が減っていきました。そして私は家庭内でついに犯罪を犯してしまうのです。
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・川島達史 1981年生まれ
・社交不安症専門カウンセラー
・公認心理師 精神保健福祉士
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