引きこもりから脱出し、サラリーマン生活が2年になろうとしたとき、私は独立を決意しました。
しかしプランは白紙です。当然周りは反対の嵐でした。99%の否定的な空気の中、いよいよ社長にも退職を告げる日が来たのです。
社長
「・・・それで話ってなんだ・・・」
私
「実は独立をすることを決めたので、
11月に退社したいと考えています。」
社長
「そうか・・・
・・・・・
入社当初は3年の約束だったけど・・・
1年早いな・・・」
私は
「すいません。約束を破ってしまうような形になります。」
社長
「・・・・
川島君がいなくなってしまうと、
上場できなくなっちゃうな・・・」
私
「えっ?そこまで評価してくださっていたのですか。」
社長
「そうだよ!いやあ。残念だよ。本当に・・・
何をするのか聞いてないけど
川島君なら絶対に独立して成功すると思うよ」
私
「ええ?!本当ですか?
みんな反対ばかりだったので、結構落ち込んでいたのですが、
社長がそう言ってくださって本当にうれしいです!」
社長
「川島君は完全に経営者タイプだよね。
私もいろいろな人を見てきたけど、
うまく行くと思うよ。
私だけじゃなくて、この前、巣鴨銀行の鈴木さんが、
川島君は池袋の得意先の中で一番優秀ですね。
独立するならいくらでも貸しますよ。
っていっていたよ。」
私は
「・・・めちゃめちゃ嬉しいです。
最近、定時にさっさと帰ってしまっていたので
社長からきっと評価されてないだろうなと感じていました。」
社長
「独立を考えていたら仕方ないよ・・・
そういえば川島君いまいくつだっけ?」
私
「はい。24歳です。」
社長
「私も25の時に独立して、最初はリヤカーを借りて
全国を回って商品を売ったものだよ。なつかしいね。応援しているよ。
もしうまく行かなかったら戻ってきてね。」
私
「はい!ありがとうございます!」
これ以上ない励まし
不思議なことに社長は私の事業プランを詳しく聞くことがありませんでした。事業プランというより私の人間そのものを評価してくれたような印象でした。
この2年間、
一番私の仕事ぶりを見てきてくれた社長
自分自身で会社を興して活動をしてきた社長
傍からみれば、ただのおっさんなのですが、私にとっては憧れの人でした。
その社長が評価してくれた。一番認めてほしい人に認めてもらったことで、私は勇気をもらうことができました。
苦しい時に何度も繰り返す
独立をしてから、私は絶望的な苦しさを味わうことになります。
やはり事業起こすということは大変でした。苦しくて、苦しくて、涙なくして語ることはできない日々を過ごすことになります。
そんな文字通り砂を嚙むような日があったとき、
「川島君なら独立して成功すると思う」
という言葉を何度も繰り返し、励みにすることができました。
一生分の勇気をもらえた気がします。
学んだこと
経験を与えてくれた社長との出会い
上司の有賀さんが丁寧に基礎を教えてくれた
やさしい先輩たちとの何気ないやり取り
もしこれらのやり取りが無かったら、私は未だに人に対する不信感をもって彷徨っていたかもしれません。
素晴らしい会社に就職することができて、私は本当に運がよかったと思います。
起業どん底編
そして私は2005年の11月ごろに、お世話になった会社を辞め、いよいよ独立をすることになりました。
とはいっても、
「何をするか決まっていない」
という致命的な状況でした。 独立したというより、会社を辞めてニートになったと言った方が的確だと思います。
会社員編はひとまずここで終わりです。
ここまでありがとうございました。
次回は「起業どん底編」を連載予定です。
文字通り、私は起業当初どん底を体験することになります。思い出したくないぐらいの厳しさだったので、執筆中に鬱になるかもしれません笑
ただ情報は正しく伝えたい。
引き続きよろしくお願いします。
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・川島達史 1981年生まれ
・公認心理師 精神保健福祉士 心理学大学院修了
・社交不安症専門カウンセラー
・ご相談はこちらからお待ちしています
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