元引きこもりの私は、現実逃避の手段としてタイへ行くことにしました。
アユタヤの寺院を巡りながら本当にすべき仕事は何か?を考え続けていました。結局、答えは出ませんでした。
それでも答えに近づいているという手応えを感じていました。資金が尽きかけていた私は、とりあえずバンコクに戻ることにしました。
帰りも、ドアの無い貨物列車を選びました。貨物列車に乗り込むと、椅子がありません。平べったい床に、地元の人が雑然と座り込んでいました。
みんな商売をしているようで、野菜や商品のようなものを電車に持ち込んでいました。
電車に乗り込んでいる乗客は、全員タイ人でした。外国人はいません。日本人の私はかなり目立っていたと思います。
視線を感じる
タイの貨物列車のドアの無い窓から見える美しい景色を眺めていると、ふと近くに30代中盤ぐらいのタイ人の男性がいることに気が付きました。
たくさんの果物や野菜を持っていたので、バンコクに行商にいく農家の方だったと思います。
その男性はどうも私に興味を持っているらしく、ちらちらとこちらを見ていました。
そこで私は、このタイ人の男性に、声をかけました。英語は通じませんでした。
そこで、私は観光ガイドの巻末についていた、タイ語の辞書を片手に会話をすることにしました。
サワディーカップ・・
と話かけました。
タイ人の男性はにっこりと
サワディーカップ
と挨拶をしてくれました。
挨拶の後は
どこから来たのか?
タイのどこをまわったのか?
なにをたべたのか?
辞書を片手に
一問一答の会話が続いていきました。
幸せとは何か?
30分ぐらい会話をしたころでしょうか。
ふいにタイ人の男性が
タイ人が私の辞書を指さし、
お金 多い
という単語を示しました
君は日本人なのだからお金持ちなのか?
という質問なのだと思いました。
これは困りました。確かに私は現在無職でしたが、日本に帰れば多少なりとも事業資金をためていました。
日本に帰れば、どうということもない金額、それでもタイの物価からすればお金もちの部類に入るでしょう。
しかし、私はお金持ちという感覚は全然ありませんでした。ですので、
NO
と答えましした。
タイ人の質問は続きました。
幸せか?
という質問でした。私は幸せかと言われれば、幸せと言い切れることはできませんでした。
今の自分の状況を幸せなど到底言い切れるものではありませんでした。私は困りながら、NOと答えました。
そうして私は逆に、タイ人に
幸せか?
と聞き返しました。そうすると、タイ人は満面の笑みで
yes!
と答えたのです。本当にこのときの笑顔を忘れることはできません。その笑顔は確信に満ちていました。
タイ人は続けました。
彼は貨物列車の奥の方を指を指したのです。
そこには、
彼の奥さん、小さな娘、商売仲間がいました。
そして、彼は小さな娘を呼び寄せ
娘を嬉しそうに抱っこしたのです
それははじめてみた光景ではなかった
私はこのとき、全ての答えがわかりました。
今までの人生の全てがつながった気がしたのです。
その光景は実ははじめてみた光景ではなかったのです。
それの光景は起業を決意したきっかけと全く同じだったのです。
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・川島達史 1981年生まれ
・公認心理師 精神保健福祉士 心理学大学院修了
・社交不安症専門カウンセラー
・ご相談はこちらからお待ちしています
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