起業当初は辛酸を舐めた1年でした。
貯金が底をつき、1年間1人も生徒さんが来ませんでした。誰にも相談できず、彼女にも見捨てられ・・・我ながらこの時期をよく乗り越えたなあ。。。とじみじみ感じます。
起業家とニートって紙一重です。売り上げあがれば、起業家ですし、ゼロならニートです。この曖昧な立場は思った以上にきつい状況でした。
はじめての方もいらっしゃると思うのでまずは今までの流れから。
対人恐怖症~退社まで
私は高校の高学年から軽度の対人恐怖症になりました。そしてついに引きこもりに・・・家族とすら会話ができなくなり、ペットボトルにおしっこをするところまで追い込まれました。
そして哲学と心理療法に出会い、心の在り方を見直しました。苦しみながらも引きこもりに区切りをつけ、フリーター生活を始めるようになりました。
フリーター生活を半年ほど続け、やっとのことで、就職活動をする気持ちになることができました。就職活動では、職歴なし、資格なし、就職氷河期という悪条件のスタートでした。
対人恐怖症克服記85 就職活動編1 引きこもりからの就職活動
その後、なんとか就職をして2年間サラリーマンをしました。配属先は社長の目の前!追い込まれながらも貴重な経験を得ました。そして起業を決意し退社しました。自問自答した結果、最終的に「コミュニケーション」の分野で起業することを決意しました。当時私は24歳でした。
口だけニート
コミュニケーションという分野で仕事をしようと決意を固めた私ですが、なんのことはない・・・実家に寄生するニートそのものでした。
とてもではないですが胸を張って街を歩ける状況ではありませんでした。心にはいつも10キロぐらいの錘がぶら下がっているような感覚がありました。
何をすれば良いのかわからない
コミュニケーションに関してどんな事業をするか?それは全くもって形にすらなっていません。うっすらと目標にあったのは、タイで出会ったオヤジの満たされた笑顔でした。
あの屈託のない、純粋な笑顔。その笑顔を社会に取り戻す。どうすればできるのか?あまりにも抽象的です。どうビジネスに落とし込んでいけばいいのか?朧な状況でした。
A3のコピー用紙
ニートのメリットは、考える時間がアホ程あるということです。
起きている時間のすべて(正確には麻雀を1時間ぐらいしていたが)を考える時間に充てていました。
まずはコンビニでA3の用紙をコピーします。そのコピー用紙を2つ折りにして、喫茶店で広げます。そこに考えていること、感じたことを片っ端から書き出して整理していきました。
書きなぐる
そもそもコミュニケーションって何?
笑顔があること?よく話すこと?
なんか違う・・・
事業化するってどうすればいいの?
コミュニケーションのカフェを創る?
しゃべることを前提とするカフェ?
でも売上あがる?何人来てくれる?
セキュリティは? ・・・・
貯金した400万円でできる?
・・・・
どう計算しても赤字だこりゃ・・・
こんな感じでひたすらコミュニケーションについての原理や、事業化するプランを考える続けました。一日中書きなぐっていると、A3の用紙の裏表が真っ黒になりぐしゃぐしゃになりました。
隣に座っていた女性がその用紙をチラッとみて、30秒後に席を変えたこともありました。悲壮感を漂わせた暗い表情でブツブツ言いながら書いていたので怖かったんだと思います。
起業することの難しさ
コミュニケーションという分野で起業することは確定したけど、仕事にすることができない。
具体的なサービスを提供し、事業として成り立たせる。営業も広告も、コンテンツの作製も、どれ一つ失敗するだけで、事業は成り立たない。仕事を自分で創り出すという難しさをこのとき痛感しました。
タイから帰国して1か月、結局具体的なプランに落とし込むことができず、私は何をやればいいのか?先が見えない状態になっていました。
しかし、その1か月で考え続けることで、段々とコミュニケーションという分野の全体像が見え始めたのです。
そして私は、ダイコミュの原型を創ることになるのです。
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・川島達史 1981年生まれ
・公認心理師 精神保健福祉士 心理学大学院修了
・社交不安症専門カウンセラー
・ご相談はこちらからお待ちしています
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