高校時代、対人恐怖症と赤面恐怖症に苦しんでいた私は、中途半端な受験の末、日大に進学しました。しかし、大学生活に馴染めず、孤立した日々を送っていました。
現実逃避をすべく、中学時代に兄から教わった麻雀に再びのめり込み、知らない人たちとの真剣勝負に心を奪われました。そのハマリ方は異常で、24時間ぶっ続けで打ち続けることもしばしばありました。昼夜は完全に逆転し、寝ずに大学に行くこともありました。
父親の財布から盗む
このような生活をしていると、当然小遣いが底をつきます。私はどうにか麻雀をしようと資金源を探すようになりました。その対象になったのが父親の財布でした。
負けが込むと、深夜に帰宅します。そして父親が寝静まっていることを注意深く観察します。確認が済むと、足音が立たないように、父親の部屋に入ります。
そして、父親の愛用の長財布を手に取ると、「今日はいくら入っているかな」と確認します。この時、5枚以上入っていれば、1枚サクッと拝借するのが通例となっていました。
3枚の時はさすがにばれると考えたので、盗ることはなかったのですが、何度も繰り返していたので、100%父親は気が付いていたと思います。3年間の間に、少なくとも20万はコソ泥していました。
しかし、泳がせてくれたのか、一度も指摘されることはありませんでした。シャイな父親なりの、温情だったのかもしれません。ちなみに母親のへそくりも、5万円近くコソ泥をしましたが、早いタイミングでバレてしまい、怒られました。
コミュ力低下が止まらない
麻雀に嵌るとコミュ力の低下に歯止めが利かなくなっていきました。 理由は複数ありました。麻雀というゲームは猜疑心を持っていないと勝てません。麻雀にはいわゆる「ブラフ」のような技がたくさんあるのですが、ようは相手を信じ切っていると勝てないゲームなのです。
麻雀の腕が上がる一方で、1日中、そのような状態ですごすと、人は信用できない…という感覚が深くなっていきます。
雀荘は社交場の1つでもあるのですが、対人恐怖で、全く話さないタイプでした。暗い顔をしながら店に入り、必要最低限の会話をするのみで、ロンとかポンとか簡単な単語を発するだけのマシンと化していました。1日発した単語が、ロン、ポンだけの日もありました。語彙力が低下して、ますます会話ができなくなっていきました。
勝負の世界で学んだこと
このように麻雀は対人恐怖の悪化を加速させる要因となったのですが、人生で大事なことも学んだと考えています。麻雀は理不尽なゲームです。どんなに努力をしても負けるときは負けるのです。
しかし、苦しい時でも歯を食いしばって我慢していると、いずれスランプを脱出できるのです。
「理不尽な出来事を受け入れる」
「不安な気持ちをコントロールする」
「我慢強くなる」
という点で麻雀は良い訓練になりました。
自己嫌悪が止まらない
一方で、麻雀漬け生活が長引き、コミュ力が一層低下していくと、自己嫌悪が益々増えていきました。ある日、私はなけなしの1万円を元手に、いつものような雀荘にいきました。夜の11時ぐらいから打ち始め、最初は勝っていたのですが、朝になると、すっからかんになっていました。ぼこぼこにされて精神状態は最悪でした。
大敗した後に雀荘から帰宅する道中は、最悪な気分になっていました。雀荘から家に帰るまでは朝の住民とたくさんすれ違います。
暗記シートを片手に勉強しながら歩いている学生
パリッとしたスーツを着て真面目に仕事に向かう会社員
ハイヒールを鳴らしながら自信満々なOL
これに対して私は、
副流煙をたっぷりと浴びて悪臭を振りまいている
ひたすら人をハメる思考を続け目つきが悪い
何一つ社会に貢献していない
このような状態でした。
朝の健康的な人たちとすれ違うたび、
「ちゃんとしろ!」
と無言で伝えてくれている気がしました。
私は
何かをしなくてはならない・・・
自信をつけたい・・・
このままじゃいけない・・・
と心の底から思うようになりました。
ある日、負けが込んで、どうしようもない気分になる日がありました。私はその日に、麻雀漬けの生活から心を洗って、真面目な生活をはじめる決意を固めました。
しかし、その決意により、私は将来的に致命傷を負うことになります。
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・川島達史 1981年生まれ
・社交不安症専門カウンセラー
・公認心理師 精神保健福祉士
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