対人恐怖症の私は、大学3年の春にゼミ面接に挑みました。しかし、面接前から予期不安に苛まれ、当日は緊張で思うように話せませんでした。さらには、面接官の大学生から馬鹿にされたような態度を取られたと勘違いし、私は挫折感と攻撃心に支配されていました。そしてゼミの合格発表の日がやってきました。
当然の結果にむかっ腹
合格発表の張り紙を見ると、当然のように私の名前はありませんでした。きっと大学生活のヒエラルキーの最上位にいる彼ら彼女らは、私をダンゴムシ程度にしか感じていなかったのだと思います。
議論をする余地もなく、「コイツはいらないよね」と全会一致、バンザイバンザイバンバンザイ、瞬殺で私を落選させる旨を、決議したに違いありません。
私は確かにキョドっていて、容姿も全くもってパッとせず、むしろ不快感を与える印象でした。ですが、ゼミはサークルではありません。私の容姿やキョどり具合は、重要ではないのです。
私は同じ面接で受けた誰よりも、起業に関する勉強をしてきました。高校生の頃から経営学の本を読み始め、会計の専門学校では日夜勉強しています。軽薄なライバルたちよりも、中小企業論のゼミに適した人間でした。
しかし、悲しいかな、私は対人恐怖であり、ただただ怯えるばかりであり、そのような事実を1ミリも伝えることができませんでした。さらに言えば、私の発言が所詮はハリボテの虚像であったことを彼らは見抜いていたのかもしれません。
「起業するって言ってるけど、何やるかわからないよね笑」
きっとお茶を片手に優雅に私を馬鹿にしていたのだと思います。その光景が容易に想像でき、私は自らのペラペラの張りぼてを、彼らに「ふっ」とひとふき、馬鹿にした呼吸で吹き飛ばされ、丸裸にされたような恥辱を感じました。
比較癖
私は項垂れながら、とぼとぼと専門学校に戻り、再び会計士の勉強をしようとしましたが、感情のコントロールができず、集中できませんでした。こんなに頑張って努力しているのに、対して努力もしない軽薄な大学生に差別されたことが苦しくて仕方がありませんでした。私は酷く落ち込み、大学生に対する怒りを着々と増幅させていました。
時間になり、帰路につくと、間の悪いことに、新宿駅のあたりから、酒で酔っ払った大学生が集団で乗車してきました。テンションが高く、着飾った服で、酒池肉林男女が入り乱れ、この世の楽しみを、全身で享受しているかのごとくでした。方や私は、何ひとつ大学生らしい楽しみを味わっていません。
いや、正確に言えば橋本さんという、彼女はいました。しかし、橋本さんはいわゆるピチピチもぎたてギャルではないのです。橋本さんは、真面目な「おしん」のような、わびさびが利いた女性で、耐える姿が美しいという魅力がありました。
そんな橋本さんを心底、好きだったのですが、私にはピチピチもぎたてギャルと戯れたいという、リビドーがうずめいていたのです。
そしてそのリビドーが昇華されないため、私の無意識はコントロールを失い、彼ら彼女らに対して、歪んだ怒りを覚えていたのです。
*リビドー
フロイトが提唱した概念
性的衝動
怪しげなゼミ
私はこのように、希望のゼミに落ち、輝けるキャンパスライフの最後の望みがかなわず、落胆していました。一方で、日大には救済措置があり、ゼミの2次募集がありました。
ただこの2次募集は、出がらしのようなゼミしか残っておらず、私は2次募集の張り紙を見て、いろいろと検討しましたは、どのゼミも惹かれるものはありません。
しかし、1つだけ気になるゼミの名前がありました。そのゼミの説明には「マルクス資本論」と書かれていました。「マルクス?」私はどことなく聞いたことのある怪しげなその言葉に好奇心を持ちました。
そしてこのマルクスのゼミが、私の人生観を一生にかけて変えることになるのです。
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・川島達史 1981年生まれ
・社交不安症専門カウンセラー
・公認心理師 精神保健福祉士
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