大学3年の私は、キラキラゼミに挑むも惨敗し、行き着いたのは「マルクス資本論」のゼミでした。暗く陰鬱な雰囲気に戸惑いつつも、「類似性の原理」により居心地の良さを感じ、弱者を救うマルクス主義らしく全員合格。
ゼミでは難解な資本論を読み解き、最初は何も分かりませんでしたが、学びを重ねるうちにその核心に触れ、人生観が変わるほどの影響を受けました。まさに泥の中から得た学びでした。今回はマルクスの考え方を端的に解説したいと思います。
その前に、3つの前提をあらかじめお伝えします。
①マニアック
今回はマニアックな内容となります。興味がない方はすっ飛ばして、次の40の日記へ進んでください。
②宗教なし
私は特定の宗教や思想に傾倒していません笑
③マルクス初心者
私はマルクスのさわりのみを勉強しています。詳しい方からすると私の解釈は間違っているかもしれません。気が付いたらご指摘ください。
ではでは!解説していきます。
マルクスの怒り
世の中は働き者が金持ちになるわけではありません。むしろ金持ちのほうが遊んで暮らしているように見えることもあります。マルクスは、この矛盾に怒った人です。マルクス資本論には、「剰余価値」という重要な概念があります。
例えば、マックで働いているバイトの鈴木さんがいて、働きを細かく分析すると、下記のようになっていたとします。
売上 30,000円
材料費など 15,000円
お給料 5,000円
利益 10,000円
マルクスはこの「利益」を「剰余価値」と呼びました。ではこの「剰余価値」はどこに行くのでしょうか??
鈴木さんに渡されるのでしょうか?いえ!違います。この剰余価値は「資本家」がゲットすることになります。資本家とは、利益をもらえる権利を持っている人になります。
鈴木さんは15,000円の付加価値を作ったのに、なぜか10,000円を資本家に取られてしまうことになるのです。
極論すると、鼻くそをほじって、テレビをみている間に、労働者が剰余価値を作ってくれるので、資本家は「働かんで金が入る」状態になるのです。不労所得・権利収入といういい方をする方もいます。
マルクスはこれに怒ったわけですね。20年前ぐらいに金持ち父さん貧乏父さんという本が流行りましたが、マルクスは150年前ぐらいに、その事実を指摘していたのです。
資本家の言い分
もちろん資本家にも言い分があります。資本家は最初にリスクを背負っています。大きな機材を買ったり、家賃を払ったり色々大変です。最初に儲かるか確定していないのに、投資をしなくてはならないのです。
全部のリスクを背負って、自分の資財をかけているわけですから、権利があるのは当然だ!理屈になります。
それはそれでごもっともなのですが、それが行き過ぎると、資本家ばかりが肥えて、労働者ばかりが、苦しい思いをすることになります。実際マルクスの時代は、資本家と労働者に絶対的な格差があったのですね。
必要な分だけ受け取ろう
そんでもってマルクスは理想を掲げました。
働ける人は社会のために働こう
給料や剰余価値は生きていくためだけで充分
残りは必要としている人に配ろう
と。
例えば、鈴木さんの15,000円の付加価値について、鈴木さんの生活費としての5,000円の取り分は変わりません。しかし、剰余価値の10,000円は資本家に行くのではなく「必要としている人」に分配されることになります。例えば障害を持っている人や、病気を持っている人ですね。
働いていようが働いていまいが、生きるために必要な分をみんなで分け合いましょう。と考えるわけです。最近、ベーシックインカムが検討されているようですが、非常に近い考え方です。
それまで「世の中は奪い合いだ」という気持ちが強かった私にとって、マルクスの考え方はとても優しいものに思えました。マルクスは、お金は生きるために必要な分を残して、困っている人に配ろう!それが、かっこいい生き方なんだよ
ということを言いたかったのだと思います。マルクスの理想は20世紀では結局うまくいきませんでした。ただ、国民の素養が上がってくれば、機能するという学者もいるようです。
経営理念に組み込む
後日談ですが、私は資本論から以下のことを感じ取り、創業するときに、以下のような経営哲学を作りました。
経営者は、労働者から、付加価値をもらう
この付加価値をもらうことで、
金持ちと貧乏人に格差が生じる
経営者はこの仕組みを悪用してはならない
マルクスの考え方は結果的には失敗となり、現代でも主流の経済学ではありません。各大学でも資本論を教えている教授は減っています。それでも福祉に関わる経営者としては、すごく学びがありました。私は日大で学んだことは99%忘れしまいましたが、マルクス資本論は今でも学びになったと感じています。
暗雲立ち込める
話を戻します。私はゼミで資本論を勉強してはいたのですが、あくまで息抜き程度でした。私の人生を直接的に左右するのは、会計士の勉強でした。私は青春の貴重な時間を最大限投入し、努力し続けました。しかし、その努力とは裏腹に、成績が伸びず、段々と雲行きが怪しくなっていきました。
そして大学3年の冬ごろに、自分の馬鹿さ加減をまざまざと見せつけられる事態に遭遇することになるのです。
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・川島達史 1981年生まれ
・社交不安症専門カウンセラー
・公認心理師 精神保健福祉士
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