容姿、学歴、コミュニケーションに、重大なコンプレックスを抱えていた私は、大学入学後、ますます対人恐怖症をこじらせていました。私は大学にはゼミへの参加と最低限の単位を取るためだけに通い、残りは人生の一発逆転をかけて会計士の専門学校で過ごしていました。
初めての努力と成績の下落
専門学校では、自分でもびっくりするぐらい勉強漬けの毎日を送っていました。ゲームをせず、漫画を読まず、麻雀をしなくなっていました。成人式の通知が来てもすぐにゴミ箱にすて、就職活動も一切しませんでした。毎日8~10時間の勉強を続けました。
それまでの20年間、私は怠惰な生活を送り、目標を持たず、なんとなく流されて生きていました。しかし、はじめて目標を明確に持ち、自分の意思で「努力」ができたのです。
その甲斐があってか、大学2年から勉強をはじめ、1年後の大学3年生の春ぐらいまではクラスの成績上位にいました。クラスの仲間は、国立大性、早稲田、慶応といった難関大学の人たちばかりでした。
日大のスライムレベルの私が、彼らよりも良い点数を取れたことは、自信につながっていきました。努力したことがそのまま成果に結びついていたので、このまま行けば合格できる。そんな期待が出てきました。
しかし、大学3年の夏ぐらいになると、異変が起きてきました。勉強しても勉強しても覚えることが多すぎてまったく追いつかないのです。小テストの点数がどんどん下がり、クラスの平均点を割るようになっていきました。
私は私なりに、これ以上の勉強は無理と言えるぐらい努力をしていました。それなのに、私よりもあきらかに勉強してない人たちに成績が劣るようになっていたのです。努力では埋められない、何か根底的な誤りがあるように感じていました。
天才がいることを知る
会計士試験の専門学校は成績上位者が実名で掲示されるという方式を取っていました。その成績上位者の中に、高橋君という人がいました。高橋君はとてもさわやかな男性です。
とてもではないですが会計士受験に人生を注いでいるという感じはしませんでした。高橋君と直接話すことはなかったのですが、噂では海外の大学に留学していて、卒業後、会計士を目指しているということを聞きました。
高橋君はほとんど勉強していませんでした。講義を楽しそうに聞いていて、いつもにこにこしていて、ひょうひょうとしています。私のように、この世の終わりのようなオーラを出すことなく、まるで青山あたりのカフェで本を読んでいるかのように実に軽やかに講義を受けているのです。
そんな高橋君ですが、おそらく私の努力の10%ぐらいのエネルギーで物事を覚えていくのです。 難関大学の受験生なかでも、高橋君はスバ抜けていました。 天才過ぎて、あまり劣等感を覚えなかったことを覚えています。
合格可能性はEランク
私が在籍していたのは、大学2年の春から勉強をはじめ、4年生の初夏に受験をするというコースでした。いよいよ大学4年生になったころ、成績が悪すぎて、問題が何を問うているのかわからなくなっていました。
例えば、会計士試験は短答式試験と、論文式試験がありますが、その模擬試験を受け、問題文を見ても、何を言いたいのか?さっぱりわからないのです。せめて、考える余地があればいいのですが、考えることすらできないレベルです。
方や同じように勉強してきた高学歴の猛者たちは、苦戦をしつつもしっかりと問題を解いています。私なりに一生懸命取り組んできたはずなのに、この差はどこから来ているのだろうか?原因不明の事態に、私は困惑しました。
模試の結果はEランクでした。もはや合格する可能性はほぼゼロというところまで落ちていました。大学4年の夏まで、4000時間近くを勉強に費やしました。20歳という貴重な時間を全て勉強に費やしたのです。その結果がEランクと言うありさまでした。
「努力をすれば報われる」
私は無意識にそれを信じていました。そして、おそらく人生においては、誰しもがいつかは直面する
「努力をしても報われない」
そんな事態に遭遇してしまったのです。まだその絶望的な事態に対する免疫がなかった私は、その事態に絶望していました。
そして、大学4年生の夏・・・無情にも会計士試験の日がきたのです。
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・川島達史 1981年生まれ
・社交不安症専門カウンセラー
・公認心理師 精神保健福祉士
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