思春期の頃から対人恐怖を悪化させていた私は、一発逆転を狙い大学2年で会計士試験に挑みました。しかし、無残に敗れてしまい、精神的なショックから声が出なくなりました。
そして、大学4年の冬ごろに引きこもりを本格化させていきました。
堅く閉じこもる
カーテンを閉め切った薄暗い部屋で起きると、不毛で陰鬱な1日が始まります。
まずは耳を床につけ、家族がいるか慎重に判断します。30分程度、生活音がないと、次に音を立てないようにドアを開けます。
さらに5分程度確認し、誰もいないことをダブルチェックしていきます。
その後、ビクビクしながら3階から1階に降ります。家族がいたらどうしよう…と警戒心が増します。
無事地雷原を突破し、誰とも会うことなく、無事に1階に到着すると、飼い犬の「ハルちゃん」がしっぽを振って私にまとわりついてきます。
ハルちゃんだけは心の友でした。私を容姿や学歴で判断しない、無条件の愛を与えてくれる存在でした。
そんなハルちゃんを軽くなでると、冷蔵庫を開け、食料を調達します。
そして、すぐに3階に戻ります。3階に戻ると、ため込んだ食料を消化しながら、自ら構築した牢獄にセルフ監禁をします。
牢獄の中では
人と話すのが怖い、弱い人間だ
会話をするとキョドる気持ち悪い男だ
吃音で声が出ない、情けない
就職活動もしていない
会計士試験も落ちた無能
デブになった、気持ちわるい
親のすねをかじったクソ人間
1日中これらの思考が頭をぐるぐる回ります。起きているほとんどの時間、自分の心を自傷し続けました。
ペットボトルトイレ
引きこもり生活では困った問題がありました。トイレに行きたくなっても、鉢合わせになったらどうしよう・・・と考え、部屋から出られなくなってしまったのです。
尿意が限界に達すると、苦肉の果てに、用意しておいたペッドボトルを使いました。事が終わると、窓を開け、裏庭にボトボトと垂れ流しました。
当時の私にとっても、このような行為が異常であることは重々分かっていました。しかし、社会的に死んだ存在になると、モラルや道徳の価値が著しく減退してしまうのです。
尿を裏庭に散布するたびに、
「ああ・・・終わってんな・・・」
と自らを客観視し、冷笑しました。
無価値な人間であるとの確信
完全な引きこもり生活が5か月ぐらいになると、「私は無価値な人間である」と確信を深めていきました。すると体がどんどん重たくなっていきました。
「動く」ということはなんらかの目的があるからです。
目的を失った人間は日常の動作ですら倦怠感を持つようになります。布団から身を起こすことすらだるいと感じるようになっていました。
今は心理師として活動していますが、当時の私を振り返ると完全にうつ病になっていました。
社交不安症とうつ病の併発率は高く、私はその典型的な例にあてはまっていました。しかし、当時の私はそんな病気になっているという自覚はありませんでした。
一日中身体を動かさず、誰とも話すことがないと、「生きている」ということに実感が持てなくなってきます。
時間感覚、曜日感覚が曖昧になってきて、思考が定まらず、自分という存在が怪しくなっていきました。
私は、段々と「死」というものについて考えるようになってきました。
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・川島達史 1981年生まれ
・社交不安症専門カウンセラー
・公認心理師 精神保健福祉士
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