社交不安改善コラム

対人恐怖症克服記48 死の実験

対人恐怖症が重症化した私は、大学卒業後、就職活動をすることができず、引きこもりになっていました。引きこもり生活は、大学4年の秋からはじまり、そろそろ初夏に入る季節になっていました。ただ寝て起きて落ち込むだけの無意味な日々が続きます。

 

八方ふさがり

なんら社会の接点がなく、一言も会話がありません。目が覚めるとぼうっと天井を見つめます。起業するとか、就職するとか、将来どうするとか、そういった思考はもはやなくなっていました。ただ寝て起きて、呼吸をして、1日が終わっていきます。

一体この生活に何の意味があるのか?わからなくなってきます。これからの人生を考えると、会話もできない、実績も残せなかった人間が、とてもではないですが、社会でまともにやっていけると思えませんでした。

このまま惰性で植物のように生きて、親に迷惑をかけ、はじをさらして生きていくなら、早々に人生を退場すべく死を選んだほうが良いのではないかと、絶望していました。

 

死の実験

ある日私は、死の間際まで行ってみようと考えました。実験として息を止めてみました。1分もすると、頭がぼうっとしてきて、体中が悲鳴を上げます。死のギリギリまで行ってみようという意思とは裏腹に、体は早々に

やめろアホ
余計なことすんな

と必死になっていることがわかります。どうして、私の肉体はこんなにも生きようとするのか?不思議でした。

もういいじゃん…死んでも…
なぜ生きようとするの…

私は問いかけました。しかし体は教えてくれません。

 

ハエの幸福

ある日、屋根裏部屋があまりにも暑いので窓を開けました。すると一匹のハエが部屋に入ってきました。私は、ハエを追い出す気力もなく、ただその光景を眺めていました。ハエは実に軽快に部屋を旋回します。どこかに獲物がないかと、楽し気です。

成果が実り、食べカスがついた食器を見つけると、やさしくソフトに着地しました。そして、それはそれはおいしそうに、残飯を食べはじめました。満腹になり、ひと段落すると、次は、食後の手の手入れをはじめました。お腹が満たされているのか、すごく幸せそうです。

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人間社会ではニートで引きこもりな私でも、気が変わってそのハエを叩けばそのハエはすぐにでも死んでしまうはずです。ハエはそんな絶望的な事実がすぐそこにあることを理解していません。

何も考えず「今この瞬間を」をきわめて幸せに生きているのです。 私はそんなハエを叩き殺す気にはとてもなれず、捕まえて、窓の外から逃すことにしました。ハエは青空を元気に飛んでいきました。仲間と出会ってまた子供をつくっていくのかなと考えました。ハエは何も考えてなくていいな。と思いました。

 

なぜ生きるのか?

ハエの一件は私にとって、きわめて衝撃的でした。

知能もあり、住む家もある、食べ物もある、そんな私がなぜ死にたいと考えるのだろうか?

知能もない、住む家もない、食べ物も保証されていない、そんなハエがなぜあんなにも楽しそうに生きているのだろうか?

 

私は、
「生きるとは何か?」
「死ぬとはなにか?」
ということを取りつかれたように考えるようになっていました。

 

そもそも僕はどうして生きているのだろう?
どうして生物は生まれたのだろう?
生に意味はあるのだろうか?
それともないのだろうか?

その答えを、ひたすら考えていました。時間はたっぷりありました。

 

その問いと向き合っていると、私は必然的に「哲学」と出会うことになります。そしてその哲学が、生きる希望を与えてくれるとは、考えてもしていませんでした。

 

 

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・川島達史 1981年生まれ
・社交不安症専門カウンセラー
・公認心理師 精神保健福祉士
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