社交不安改善コラム

対人恐怖症克服記5 赤面症との格闘

15歳の春に女子から赤面を嘲笑されたと思い込んだ私は、人の目を気にするようになり、対人恐怖の症状を悪化させていきます。

赤面症との格闘

高校1年生の頃になると、得に赤くなりやすい顔がコンプレックスになっていました。思春期の男子は自我が膨張し、どうにか自分を大きく見せようとする時期です。

そんな時期に顔が赤くなるのは、自分が小物であると宣言しているようなものなのです。私はどうにか、赤面を回避し、冷静でクールな男子になるべく、ひたすら格闘していました。

できる限り薄着をする
団扇で顔を仰ぐ
クーラーに顔を当てる
アイスノンで顔を冷やす

これらの努力を続けました。しかし、一向に成果が出ません。努力は身を結ばず、むしろ自分の顔がどんどん赤くなっていく感覚がありました。赤い顔を気にすればするほど、私は自分の顔をより一層嫌いになっていきました。

顔はコミュニケーションの象徴です。自分の顔が嫌いな状態で人と楽しく接することなどできるわけがありません。私はますます人が怖くなっていきました。

登校するときに気を遣う

当時もっとも苦しかったのが登下校の時間でした。私の実家は、女子高の近くにありました。大量の女子高生とすれ違うことになります。

今思えばおいしい?通学路だったのですが、赤面症で悩む私にとっては地獄の通学路になっていました。

女子高生が
キャッキャ
キャッキャ

とおしゃべりしている声が、私を嘲笑している気がするのです。私はいつも伏し目がちでした。地面を見ながら赤い顔を見られないように必死になっていました。

人の目を異常に気にする

高校1年生の冬頃になると
「人からどう見られているのだろうか」
という心理に歯止めが掛からなくなっていました。

鏡を見る回数がどんどん増えていきます。休憩時間のたびに自分の容姿をチェックします。

顔が赤くないか?
人からどう見られているか?
僕はモテるのだろうか?
変なふうに思われないだろうか?
馬鹿にされないだろうか?

そんな分析が止まらなくなります。

いつしか私の心の中は
「周りからどう見られるか?」
という公的自己意識に支配されていきました。

当日の私は、対人恐怖と言う言葉も知らなければ公的自己意識という言葉も知りませんでした。人が怖くなる心理を止めるすべもなく、ただただ症状が悪化していきました。

絶望の森に迷い込む

もしこの時期に、適切な心理師と出会い、心の向き合い方を教えてもらっていれば、私は大切な思春期を絶望の中で過ごさずとも済んだかもしれません。

しかし、当然私の中身を理解してくれている人は誰もおらず、自分自身ですら、自分が対人恐怖症の症状を悪化させているとも気が付かついていませんでした。

私は、気が付けば、たった一人で対人恐怖という絶望の森に入り込み、その後、10年近く抜け出せなくなったのです。

 

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・川島達史 1981年生まれ
・社交不安症専門カウンセラー
・公認心理師 精神保健福祉士
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