社交不安改善コラム

対人恐怖症克服記65 イケメン面接官のウザイ質問

 

15歳の頃から対人恐怖症が始まり、引きこもりとなった私は、哲学と心理療法の力を借りて、少しずつ心を回復させていきました。22歳の秋になると「働きたい」という気持ちが芽生え、アルバイトの面接に臨むことになりました。

面接会場は、新宿アイランドタワーの40階でした。きらびやかな面接会場、着飾った若い応募者、パリッとした勝ち組臭がする面接官がアクセントとなり、私の醜悪さはより輪郭が明確になっていました。

 

不毛な質問

面接官は私の履歴書を見ると、大学卒業後の空白期間に目をやりました。すると

「卒業後、就職はされなかったのですか?」

という最も煩わしい質問をしてきました。普通の会話であれば、お互い自己紹介をして、仲良くなって、信頼関係を築いてから、おそるおそるするような質問です。それにも関わらずイケメン面接官は、ものの30秒で炸裂させ、マウントしてくるのです。この面接官は私の劣等感を刺激するためにわざと嫌な質問をしているに違いない!という感覚になりました。

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馬鹿正直に言えば、

はい。実は会計士試験を2年間目指していて、毎日8時間以上勉強していたのですが、ものの見事に惨敗してしまい、精神的に病んでしまいました。視線恐怖や対人恐怖があって一時期、死のうと考えたこともあったのですが、ソクラテスや、認知行動療法、森田療法のおかげでなんとか社会復帰しようという気力がわいてきました。

今日は久々に新宿にきて、なんとかこの仰々しい面接会場までたどり着くことができました。そして、勝ち組オーラのする貴殿に、圧倒されていますが、なんとか頑張ろうと思います。

と言いたいところなのですが、こんなことを言えば、面接で速攻落とされることは明白でした。

 

会社を作るためです

私は、返答に困り、20秒ほどもぞもぞしていると、面接官がペンをクルクルと回し、イライラしていることがわかってきました。すると私は何を思ったか

「会社を創るために卒業後は無職になっています」

と面接官に宣言しました。 私は、とっさに出てきた言葉に、さっそく後悔しました。なぜなら、無職の男が何を言っているんだ・・・と馬鹿にされることは明白だったからです。

たしかに、私にとって、起業をするという希望が、ぎりぎりのところで心を保つために、必要な願望ではありました。しかし、こんなことを周りに公言すれば、マウントを取りたい面接官に、堂々と論破をする口実を与え、自己効力感を与えるきっかけになることは明白でした。

案の定、面接官は、くるくる回していたペンを、ピタっと止め、

「会社を創るのですか。どんな会社を作るのですか?」

と食い気味で返してきました。私は、一発逆転を狙った大ぶりなフックに、鋭いカウンターパンチをもらったような感覚になりました。

 

リングに沈む

私はそのパンチを受け、グラグラと腰を落とし、ダウン寸前になりました。しかし、このまま、リングに沈んでは、何をしに新宿に来たのかわかりません。モヤシにはモヤシのプライドがあります。

あ、あの、それは・・・まだ決めていません。でも必ず作る予定です・・・

私はリングを背に、朦朧とする意識を保ちながら、抵抗を見せました。そして、このいけ好かない、筋骨隆々の勝ち組の面接官から、とどめのパンチがさらに飛んでくることも覚悟し、目をつぶり、介錯される心の準備をしました。

しかし、面接官は私のあまりの打たれ弱さに、「敵」としての認識を改め、「病人」とレッテルを張り返したようで、これ以上こいつを倒したところで、勲章にはならない、と感じたのか、以外にもそれ以上は追及はしてきませんでした。

そして

「そうですか・・・頑張ってください・・・」

と、おもちゃに興味を失ったような幼児のような態度で、くだんの件を終わらす言葉を投げかけたのです。

 

敗戦処理

あっけなく試合が終わました。その後は、敗戦処理の時間になりました。面接官は、モチベーションを測るような、抽象度の高い質問を切り上げました。そして、おそらく全ての面接対象者に言わなくてはならないと思われる、業務内容の説明を機械的にはじめました。それは戦勝国が、敗戦国の投降兵を機械的に、処理するような雰囲気を漂わせていました。

人一倍、人の顔色をうかがう私は、既に不採用を悟り、早くこの不毛なやり取りをやめ、一刻も早く、自室の引きこもり部屋に帰宅したくなりました。

 

 

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・川島達史 1981年生まれ
・社交不安症専門カウンセラー
・公認心理師 精神保健福祉士
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