社交不安改善コラム

対人恐怖症克服記67 パソコンからファッ〇ユーされる

 

15歳の頃から対人恐怖症が始まり、引きこもりとなった私は、哲学と心理療法の力を借りて、少しずつ心を回復させていきました。

22歳の秋になると「働きたい」という気持ちが芽生え、アルバイトの面接に臨むことになりました。対人恐怖症となり、引きこもりとなった私は、「働きたい」という気持ちが芽生え、アルバイトの面接に臨むことになりました。

 

しかし、1つ目の面接で、さっそく挫折すると、精神的に落ち込み、やはり俺はダメだ・・・と自室に引きこもりました。2週間ほど経つと、どうにか回復し、ポツポツと求人誌に目を通すようになっていました。

 

 

陰鬱なビル

求人誌をめくっていくと、大概が時給950円程度でした。しかし、なかには1,500円も出る仕事もありました。詳細を見ると、派遣社員という形態で、アルバイトよりも時給が高く、稼げそうでした。

電話をすると、今日中に来てください。池袋です。」とやや圧力のある声で言われました。

 

私は、いざ面接となると3日間はメンタルを整える時間が必要です。今日かよ・・・と、不満な気持ちでしたが、どこかドスが効いた声に、断ることができず、「わ、わかりました・・・」と受け入れることにしました。

 

池袋に降り立つと、人でごった返しています。ただ新宿西口の仰々しいビル群よりかは、偉そうな感じはなく、前回よりは緊張しませんでした。

地図を見ながら、進んでいくと、繁華街から逸れていき、雑居ビルが増えてきました。

 

指定された場所に着くと、コウモリでもいそうな、薄暗い雰囲気で、陰鬱な未来が想像できました。

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パソコンからディスられる

会場はビルの4階でした。中に入ると、面接希望は私だけのようでした。

担当者は眼鏡をかけた中年男性が、のっしのっしとこちらに向かってきました。前回私を面接で落としたイケメン面接官担当者と違い、どこかどんくさく、目に力がない感じでした。

私と同種の人間である気がして、ほっとしました。

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中年男性と無意識化で共鳴をすると、面接がはじまりました。今回の面接では、起業をすると自分を盛ることはなく、まずはフリーターで生計を立てようと思っていると、伝えました。

 

5分程度やり取りをした後、次にコンピュータに出てくる質問に答えさせられました。いわゆる適性検査です。適性検査はあたかも成功者のように回答していけば、だいたい良い結果になるものです。

しかし、当時の私は社会でうまく立ち回る術を知りませんでした。その結果、コンピューターの質問に対して馬鹿正直に回答してしまったのです。

 

診断結果をボタンを押すと、「人と関わる仕事」「創造性のある仕事」「孤独な業務」・・・などの項目がありました。

そして、「向いている度」が棒グラフで示され、大きいほどその職種と相性が良いということでした。私の診断結果は、軒並みどのグラフも低く、向いている職種などありませんでした。

 

しかし、唯一、棒グラフが突出して大きくなっている項目がありました。それは「孤独な業務」でした。

タチの悪いことに、「孤独な業務」がど真ん中にあったため、いわゆるファッ〇ユーの形、そっくりになっていました。

 

私はなんだかコンピューターからファッ〇ユーされているような気持になり、機械まで俺を馬鹿にするのか・・・と暗い気持ちになりました。

 

 

再びの挫折

適職診断をみた中年男性は 、表情を変えることなく、人と関わることは苦手なようなので、PCのプログラマーはどうですか?とたんたんと提案してきました。

 

当時はちょうどITの景気が上がってきた時代でした。プログラマーであれば、勉強をすれば派遣可能ということでした。景気も良いみたいだし、給料も良いならプログラマーでもいいなと感じました。

 

しかし、その派遣会社は研修がなく、プログラマーになるには、自費で勉強をする必要があるとのことでした。

私は会計士受験で勉強にはうんざりしていましたし、早く働きに出たかったので、プログラマーは諦めることにしました。派遣会社には一応は登録したものの、その後連絡はありませんでした。

 

残ったものは、ただパソコンに馬鹿にされたという記憶だけでした。

 

 

立ち直る時間短縮

私は自宅に帰ると、どっと疲れが来て、再び深く落ち込みました。PC画面に映し出されたファックユーの画面を何度も思い出し、社会から拒絶されたような感覚になりました。

 

それでも、前回2週間、回復するのに要した時間が今度は、1週間程度で動けるようになっていきました。これは心理療法を実践し、ある程度、心を回復させるすべが身についてきたからだと思います。

 

私は、認知行動療法や森田療法の助けを借りて、ため息をつきながらも次の求人を探しました。そして次に目に留まったのが、

「家電量販店の携帯電話の売り子」

でした。売り子であれば、コミュニケーションの練習になりそうだと思い、チャレンジしたい気持ちが出てきました。ややハードルが高そうではありましたが、思い切って応募をすることにしました。

 

しかし、次の会社の面接では、天敵と遭遇することになり、再び敗北することになるのです。

 

 

 

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・川島達史 1981年生まれ
・社交不安症専門カウンセラー
・公認心理師 精神保健福祉士
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