対人恐怖症に8年苦しみ、引きこもりになった私は、心理療法の力を借りて、ある程度回復し、喫茶店でアルバイトをすることになりました。
しかし、喫茶店ではコミュ障を早速発揮してしまい、早々に皿洗いに回されました。私はキラキラ輝く、同年代のアルバイトに対して劣等感を膨らませ、再び対人恐怖を悪化させていきました。
ある日、人が怖くなり、体がどうしても動かなくなり、出勤することを拒否してしまいました。開店時間になると、携帯電話がなりました。私は葛藤しました。
店長は怖い・・・けど・・・
電話に出なかったら人として終わりだ・・・
せめて説明だけでもするべきだ・・・
そう考えた私は、思い切って着信に出るボタンを押しました。
初めてのカミングアウト
「もしもし・・・川島君?・・・いまどこにいるの?」
「すいません・・・今日はお休みさせてください・・・いま国分寺にいるのですが・・・でもどうしてもいけないのです・・・」
「え・・?どういうこと?急に休まれたら困るんだけど・・・」
「すいません・・・実は私、以前から対人恐怖症という心の病を抱えていまして・・・自分を変えようとアルバイトをはじめて、なんとか踏ん張っていたのですが・・・今日は本当にもう身体が動かないのです・・・」
「・・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・・・でも・・・・人と話さないなら大丈夫なんでしょ?皿洗いならできるでしょ?」
「・・・すいません。それでも無理です。人が怖いので。すいません。実は私は引きこもっていた時期もあるのです・・・こうして電話しているだけでも、もうおかしくなりそうです・・・本当に申し訳ありません・・・」
「・・・・」
「川島くんいないと、お店回らないよ・・・来るのも難しいの??・・・」
「はい・・・難しいです・・・申し訳ありません・・・」
「・・・」
感情が洪水を起こす
私にとっては、対人恐怖があることを、はっきりと他人に伝えた瞬間でもありました。
思い返せば、対人恐怖になってから8年間、親にも、友人にも、恋人にも、もちろん職場の人にも、悩みを相談したことがありませんでした。
自分の内面を誰かにさらけ出すと、何かとんでもない事態になるという感覚があったのです。
しかし、もはや自己開示をすることでしか、説明責任を果たすことができない感覚があり、私はついに、出社できない理由をカミングアウトすることになったのです。
それも、恐怖の対象でしかなかった、店長に対してです。
私の心の中は、洪水を起こしていました。アルバイトを休む自責の念、店長への自責の念、そして対人恐怖をはじめてカミングアウトした不安、これらの感情でぐしゃぐしゃになっていました。
店長のカミングアウト
店長は私の説明を聞くと、ある程度は飲み込んでくれた雰囲気はありましたが、その喫茶店は、新宿の一等地にあり、莫大な売上が出ます。
店長は重責を担っているのは明らかです。繰り返し、私に出社するように促してきました。
それでも私は壊れたレコードのように、恐怖心から出社できない旨を伝え続けました。
何度も同じ、問答が続くと、店長も次第に、説得に疲れ、沈黙が多くなってきました。そして長い沈黙が訪れました。するとなぜか、店長の声が震え始めたのです。
いつも強気な店長の口調がどこか弱々しくなっていくのがわかりました。声色もどこか幼い、少女のようになっていきました。
すると、店長は思いもよらないことを私に告げたのです。
「私だって人が怖いんです・・・・」
「私だって昔いじめられていたんだから・・・」
「それでも頑張っているんだから・・・・」
「・・・」
「・・・」
「・・・」
「・・・」
「でも・・・」
「・・・」
「・・・」
「・・・」
「もう良いです・・・・」
店長は泣いていました。そして、私の返答を待つことなく、店長は電話を切ったのです。
私はつながっていない携帯電話を片手に言葉を失ってしまいました。
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・川島達史 1981年生まれ
・社交不安症専門カウンセラー
・公認心理師 精神保健福祉士
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