劣等感の塊で対人恐怖症になった私は、一発逆転をすべく大学2年の頃から会計士受験生になりました。2年間の猛勉強の末、試験を受けましたが、爪痕を一切残すことなく圧倒的敗北を期しました。
その後、再び地獄の1年を過ごすことに決め、再受験生となった私ですが、勉強への意欲が極端に無くなっていました。
池袋徘徊
本気で会計士を目指す彼女や受験生に比べ、私は「会計」という学問に真摯に向き合えなくなっていきました。モチベーションは低下し、成績も伸び悩み、一日の勉強時間はどんどん減っていきました。
朝9時ぐらいに着くと、一応は自習室に行って勉強を始めます。しかし、30分も経たないうちにイライラしてきてきます。簿記の問題に興味を失い、監査論の単語の暗記を苦痛に感じます。そしてそのイライラがピークに達して、すぐに投げ出してしまいます。
そして池袋の町を徘徊し始めます。目的もなく徘徊しながら、自分の状況を直面化する時間が増えていきました。
私は「起業する」「その一歩として会計士になる」と、家族やゼミ生に大口をたたいていました。それはちっぽけなプライドを守るための一時しのぎの防具でもありました。その防具を本物にするために、私なりには頑張りました。
しかし、残された結果は・・・
会計士試験惨敗 大学の2年間をドブに捨てた
親のお金を減らす 愛想ゼロ 深爪
視線恐怖 無表情 ザンバラの髪形
20キロ近く太った 就職活動をしなかった
という悲惨なものでした。もはやその防具ははがされたも同然でした、口だけの男である自分を誰にも晒したくない。そんな思いがどんどん強くなりました。
彼女との差
専門学校には来るものの、すぐにいなくなってしまう私とは対照的に、彼女は順調に勉強時間を重ねていきました。とにかくテコでも動かない性格なので、私がなんども、散歩に行く旨を打診しても、首を縦に振ることはありませんでした。
私はそんな彼女との差も感じるようになり、会話を避けるようになり、自分の殻に閉じこもるようになっていきました。唯一の会話の相手だったので、1日全く話さない日が続くようになりました。
モチベーションを失い、人がますます怖くなっていた私は、秋ごろには完全に会計士試験を投げてしまっていました。専門学校へも大学へもほとんど通わなくなっていました。
未来の無い雀荘通い
気付くと私は、ずっと封印していた雀荘に通い始めていました。私が良く通っていたのは国分寺の雀荘です。24時間営業で、年中無休で空いていました。雀荘は社会の敗北者が集まる空間です。
浪人生、フリーター、うだつの上がらない社会人、コミュ障、ギャンブル依存症の巣窟でした。地獄に落ちて摩耗した餓鬼達が唯一、腰を落として、傷をなめあえる場所でした。
一度通い始めると、生活がガタガタになるのはあっという間でした。夕方から早朝まで雀荘にこもり、親が起床する前に帰って眠る。そして昼過ぎに目覚めてまた雀荘に行く生活。
規則正しい生活は一変し、薄暗い雀荘で牌を握って現実逃避をする生活に陥ってしまったのです。当然私の状況はさらに悪化していき取り返しのつかない事態へと進んでいくことになります。
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・川島達史 1981年生まれ
・社交不安症専門カウンセラー
・公認心理師 精神保健福祉士
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